つきみのブログ

帰国子女で理系。正解ではなく、読者が考える材料を提供したいです。

私と似ている父親


私と父親は見た目が全く似ていない。

コンビニの店員と雑談しているとき、「養子でしょ」(この国では養子はよくあること)と言われたほどだ。

「一緒にいるとパパ活と間違われそう」と母からからかわれる。



そんな私と父親は、性格が似ている、とお互いに思っている。



今年の冬に発達障害グレーゾーンの診断を受けて、それなら父もなのでは?と思った。

いや、それより前から、よく家族での会話が噛み合わないときは多く、『アスペ』と呼んでいた(私も呼ばれていた)。


そんな父は、特別不自由した経験があるわけでは無いようだ。
働き方も、いわゆる昭和スタイルの発達障害者が苦手とするようなものだ。しかし父は、むしろ一般的によく聞く嘆きや疲労感、ストレスが表に出ず
「仕事で疲れてるんだ」といって家族を無視したり
「俺は外で働いているんだ」と威張ることをしない


その理由を考えてみた。


・いろいろ考えず、『こういうもの』として淡々と受け入れる性格

・男であることもあり、女性特有の『共感の強要』『執拗な集団行動』が求められず仲間外れやいじめられた経験がない(嫌味を言われても気付かない?)

・優秀で、勉強が得意な上に働きながら何歳になっても続けられる



このようなことから、仕事上の人間関係のストレスをもたずよい仕事を得ることができているのだと思う。

私がくよくよしているときに見抜いて「うちの家系には多い」とアドバイスをくれることから、楽観的思考は後から身に付けたのかもしれない。


このような父の例は、発達障害の要素がむしろ昭和的働き方に、定型発達の人よりもよく適合しているといえる。




発達障害にもさまざまである。
たくさんの例や要素をみていると、結局は自分個人を見つめて生き方を見つけていくということに収束する。


発達障害にはこれが向いている』というものはあくまで考えるためのエッセンスであり、本当の意味でそういったものは存在しない。


新しい働き方を考えるのもあくまでその一つ。

自分が何を求めているのか、
何が辛いのか、
何が自分を助けてくれるのか、


失敗を淡々と受け入れながら見つけていくんだと思う。



つきみ