つきみのブログ

帰国子女で理系。正解ではなく、読者が考える材料を提供したいです。

海外生活で必要な英語力、海外生活で身に付く英語力

純粋に英語を勉強した人が発する英語と

いきなり英語圏に放り出された人が発する英語

 

は、違うのが聞いていて分かる。

 

私は小学生でとくに興味も憧れもないまま放り出された方で、準備したとはいえ子供が勉強する英語など挨拶くらいだ。

 

 

短期間で耳にしたわずかな種類の言い回しをなるたけ幅広く応用し、情報が入り切らなかったら後から付け足す。

 

例えば

時制が分からなかったら、取り敢えず適当に現在形とかにしたあとに、いつだったか具体的に言う

 

誰がこうして、誰がこう思って、こう言って、誰が大変なことになった、誰が喜んだ

人と事実、感情の組み合わせを正確に伝えるのが難しいとき、台詞を入れて再現する

 

 

 

 

 

私が仲間意識(?)を感じたのは、ダンサーの蛯名健一さんだ。

 

蛯名健一さん

Everyone is like“yhea!!!!!”

And I was like“oh, I feel good.”

審査員のコメントに、もっと何か返したい…という歯がゆさがあるのかな、と感じます(私がそうなだけ)

https://youtu.be/cR9nzgzFvAY

 

 

 

赤西仁さんもロサンゼルスにいるだけあって、馴染み深い!!時制の一致とか、こういう構造が文法書に乗ってたなとか考えてなくて、普段の周りの人の言葉を聞いている感じがします。ペラペラ!

https://youtu.be/Bb0K-k5KDdk

 

言うことを考えてるときとかに、likeやjust  likeを使うところもアメリカにいるからこそという感じがします。

 

 

すると、日本でかなり勉強して英語が話せるようになった人というのも聞けば分かります。

・頭の中で一文を完成させてから発言している。(優秀だからできちゃう)

・なので、いろんな文構造を使って高度でかっちょいい、中身のつまった内容を話す。(書かなくても話の流れの中ですぐに出てくるくらいに叩き込んでいる)

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカ(もしくはどこか英語圏)にいって習得した人なのか、

日本で勉強して習得した人なのかは、

 

 

その人の英語を聞けば明らかになります。

 

 

 

 

 

 

つきみ

 

 

 

関ジャニ∞クロニクル 英語伝言ゲームは本当に勉強になるという話

https://youtu.be/mmw2FPrJ2Co

「パスポート、取りたいんです?」

 

笑いが絶えない、日本一華やかな英語伝言ゲーム。

 

これ、英語圏で暮らしながら英語を習得していく人の脳内が解剖されたみたいに思うんです!

とくに最後の村上さんがいつもよく表現されています。

 

聞いた英語を、分からないまま聞いた通りに声に出してみる。

それを聞いたことのあるフレーズとリンクして、予想する(missonとimpossibleを混同されていましたが、こういう経験は記憶が定着しやすい)。

聞いたことのない部分はスペルを予想してみる(これも間違いによってあとで分かったときに記憶が定着したり、分からないままでも別なときに生かされる)。

 

 

この流れ、まさしく現地でやりました!

いきなり知識を詰めるのではなく、こうやって悩んだ経験が、記憶を確実にし、応用力を身につけ、対応力、ハートが鍛えられる(鍛える!と力まなくともいつの間にかできている)のです!

 

あの番組は、単なる面白さだけではなく、私達が見習うべき姿だと本気で思っています。

 

 

 

つきみ

大陸と島国の人の気質

中国人と関わると、ときどき懐かしく感じる。

中国に行ったことはない。中国人と多く関わった経験もない。

 

私は中国人に、アメリカを感じるのだ。

 

おおらかで、物怖じせず、初対面でも包み込むような関わりかた。

はっきりとしたリアクション。

しっかりと自分をもっており、強い主張には攻撃性が全くない。

 

 

中国とアメリカは、国土の広い大陸である。

日本は島国である。

 

日本はこれらの国と、環境や常識、風潮についても対極にあると思う。

 

 

 

つきみ

 

 

はまっている偉人、はまっている言葉

自己啓発、尊敬の対象、ノウハウ、セミナーなど
活躍されている方が様々な情報を様々な媒体で発信されている
便利な世の中になったもので、媒体も内容も、レベル上がってるといってよい。もちろん普遍の良書、とくに古い宗教は格式が高いが、たとえばこれについての説明が分かりやすくなっていたり、より幅広い人に身近に感じられるものになっていたり、新たな見解が生まれたりなどしている。



しかしどんなに質のよいものであっても

どんなに正しくとも、

必ず卒業しなくてはならない

と思う。




どんな教えも、解釈して自分の行動や考えに落とし込むのは自分なのである。
なので、発信者が発信したいことと全く正確にぴったり合うということは、断じてないのである。どんなに分かりやすくとも、どんなに解釈が的確であっても、発信者と受信者は別な空間を生きる別な人間だからである。

なので大事なのは、その落とし込みが変化すること、
またそれを通して自分の頭で考えることだ。




実をいうと私は占いもスピリチュアルも好きである。理系でこれらが好きだというのは、イメージからすると矛盾に聞こえるかもしれない。中には、理系として、そのような趣向を好ましくないとする考えもあるだろう。
しかしその中での好き嫌いには自分の選択があり、その選択には自分の指針がある。




私なりの占い、スピリチュアルの特徴や見方について、今後の記事で話していく。




つきみ

技術と生命

理系なら、生命倫理に関する授業を受けたことのある人が多いのではないだろうか。

医療技術だとか、どういう治療をするだとか、
そういう技術面と価値観とが変化していくなかで時代とともに死亡率、出生率、病気の種類が変化している。

新しい技術が話題になると、「この技術は人の命の重みを考えると、いかがなものか」
を主軸に語られることが多い。

AIや人工生命が代表的だろうか。




私は人工受精で生まれた。



私は正直、技術で生命の重みや価値観、意義が変わろうがどうでもいいと思っている。
時代が時代なら、私はいないかもしれない
世が世なら、私は存在自体が淘汰されていたかもしれない
世が世なら、私は観察の対象だったかもしれない


でも、ただの人として生きている。


だから生まれて良かったということもなく、
生まれていないべきだったということもなく

ただ生まれたという事実がそこにある



親はときどき、人工受精のせいで、と後悔するときがある


双子で生れた兄が死んだこと
私が発達障害もどきで生きづらいこと
私の自律神経の不調の理由が極度の骨の歪みであること


特に理由がなく生まれつきの不便や障害があるごとに、人工受精を思い出している。


私に例えば食物アレルギーがあったら、肌のアレルギーがあったら
同じようにしていたのだろうか。



そういう心配ごとも、生まれた事実ありきのことだし
具体的に人工受精が弊害があるとされていることはない


親は私に、人工受精はおすすめしない、という

私はもともと無理に子供が欲しいとは思わないし、できることになったら、できるんだなという考えだが人工受精とは関係ない


他の人にも、人工受精は弊害があることを伝えたいという
私にもごめんね、という


私にしても、親にしても、他に人工受精をした人、考えている人にしても


結局は産むほうが決めることで

その命の誕生というるのは、その親の人生の中にある。



自分の人生は自分のものだとか
命の重みや価値だとか



そういうのは全くの完全とはいかなくて、
他の要素が加わって簡単に変わってしまう
一時の流行りにすぎないのだ。





命はこの膨大で長い宇宙の歴史のなかに誕生したにも関わらず、人間がそのちっぽけな存在でいくら定義しようとしても、それは短絡的にしかなり得ないのではないだろうか。




つきみ

本来の自分、素の自分

子供のころは、可愛くないとかふざけるのが好き

大人になると可愛いとか女性らしいが大事

 

そして一方を「周りに適応して自分を抑えている」と表現し、もう一方を「本来の姿」として神格化する

 

しかし、「どっちも適応している」し、「どっちも本来の自分」なのではないだろうか

 

つまりは「可愛い」か「可愛くない」かという二分ではないのである。

 

可愛い→愛されたい、病気になりたくない、周りに合わせている、生きやすくしている

 

可愛くない→性差別されたくない、性を認めたくない、楽しくしたい、目立ちたい、楽を選びたい、周りに合わせている、生きやすくしている

 

女性らしいとかもそう。別な目的があって、そっちが本質。

また、本来の自分であるだとか、本来の性別であるだとかが正義とされているのもおかしい

 

合わせていること、本来の自分でないことで、自分を楽にしている、幸せにしている

こともある。

 

 

これがよい、このほうがよい、ということで

自分も他人も押し付けるのは辞めないか?

研究職は発達障害者に向いている?

発達障害者は、向いていない仕事について適応が難しく、また周りにも弊害がある。

発達障害者にとって大きなテーマのひとつに、はたらきかたがある。


よく言われている、発達障害者に向いている職業のひとつに「研究職」がある。



私は理系の大学を卒業している。高校生やそれ以前から、はっきり診断されていないもののなんとなく自分のなかで「私ガイジだから」「アスペ出ちゃったわ」とか思っていた。

自分は何か手に職をつけないと。資格とか、専門知識がないとできないようなことをしようと思っていたし、中学までは理系科目ばかりできていた、高校ではてんで出来なくなったが、だからといって文系科目もてんで出来なかったので心に決めていた通り理系の大学に進んだ。


大学に入ってから学問を知り、こっちの方が好きだったんじゃないか…?と後悔するのはよくあることだが、ついに限界が来たのは四年生の研究室だ。

研究室には、発達障害者の苦手なものがたくさんある。

・ひとつのことに集中するイメージなんて的外れ!マルチタスクの嵐

・途中で声をかけられ情報ややることが追加もしくは変更、しかも頭を使う。今までやっていたことや、やる予定のことを忘れる

・メモだって置場所がたくさんあるし作業でいちいちどかすから散乱

・一斉にやり方を教わることはないので、忙しそうな先輩にタイミングをはからって質問しなくてはいけない。先輩ということはつまり院生なので優秀で、後輩がいかに何も知らないか分からず分かっている前提で説明されるので、分からなかったりら分かったと思っても誤解があったりして結局失敗、苦笑いされたりネタにされる。

・毎日やることが違う。やり方を毎回調べてやるのでいつも慣れない作業。



以上のことから、発達障害にとっての難所が非常に多い。
事務職や総合職のようなマルチタスクや相手の様子伺いに加えさらに内容の複雑さが加わるようになる。


発達障害者には研究職が向いている。

この定説を唱える人はおそらく精神医学系の人である。
臨床心理士だけが言っているのであれば、理系の研究の流れがいかであるか知らない可能性もあるが、医学会が言っているのには疑問がある。



学問が好きなだけの発達障害者に安易に研究職を進めるのに私は反対だ。




つきみ